1.計画の概要
・日程:2/1~2/15
・行先:イラン・イスラム共和国
・目的
(ⅰ)日本とは環境が全く異なる地での生活を通じて精神的に成長する
(ⅱ)イスラーム社会を身をもって体験する
(ⅲ)歴史あるペルシアの文化に触れる
・メンバー
山田(CL)、辻、石川、大内
2.行程の記録
2.1:羽田空港→フランクフルト国際空港
2.2:フランクフルト国際空港→イマーム・ホメイニー国際空港。22:00頃テヘラン着。
2.3:テヘランで装備の準備とネット環境の構築
2.4:ゴレスタン宮殿、バーザールを観光。夜行バスでテヘランからシーラーズへ。
2.5:早朝、シーラーズ着。タクシーをチャーターし、ペルセポリス、ナグシェ・ロスタム、パザルガダエを観光。
2.6:シーラーズ市街を観光。夜行バスでシーラーズからイスファハーンへ。
2.7:早朝、イスファハーン着。エマーム広場とその周辺を観光。
2.8:ジョルファー地区の訪問、橋巡りなどを実施。
2.9:マスジェデ・ジャーメ、アーテシュガーなどを観光。
2.10:タクシーでイスファハーンからテヘランへ。
2.11:革命記念日であったため、休養日とした。
2.12:旧アメリカ合衆国大使館などを訪問。夜、イラン三菱商事梨本社長宅で会食。
2.13:イラン考古学博物館、バーザールなどを巡り、夕方に空港へ。
2.14:イマームホメイニー国際空港→フランクフルト国際空港→チューリヒ空港→成田国際空港
2.15:帰国
3.参加者の感想
・大内泰良(法1年)
今回のイラン春合宿全体を通して感じたことは、やってみるまで分からないということだった。現地の実情や日本で抱いていたイランへの印象との差異に気づいたり、現地民との交流から様々な経験ができたりと、進んで行動を起こすことで新しい経験や知見が得られた。
イランでの生活は日本とは異なる点が数え切れないほどあり、その一つ一つに驚嘆や苦悩を感じた。テヘランの大気汚染や水浸しで悪臭が漂うトイレは、新鮮という爽やかな言葉では表現できない衝撃だった。さらに、デビットカードやSIMカードの入手、レストランやタクシーでの意思伝達などは、予想以上に難航してイランに着いて間も無くホームシックになった。同時に、そういった環境を普通だと思って難なく生活している人がいることは興味深く思い、もっと自分の知らない世界に足を踏み入れたくなった。
・石川裕真(法1年)
出発前の私のイランへのイメージは、危険・殺伐としている、というものだった。私の周りの人たちの反応からしても、多くの日本人が同じようなイメージを共有していると考えて間違いないだろう。本や新聞に出てくるイランもこうしたイメージをもとにしている、あるいはこうしたイメージを助長するものである。
2週間の旅を通してこれらのイメージは、西側諸国の先入観に満ちたものであると感じた。まず、第一にイランは危険ではない。実際に私たちは犯罪等危険な目に合わなかったし、目撃もしなかった。さらに言えば、現地の人たちが荷物をその場に残して所用を済ませに行くという場面を目撃しさえした。確かに、イランはイスラーム文化圏であるためその生活習慣や文化は日本と大きく異なり、不慣れなことは多く、心細さを感じることはあった。しかし、そうした不安や心細さに支配されて危険を過大評価し臆病になっていては、決して体験できないこともあった。タクシーの運転手の家で朝食をごちそうになる、現地の人たちとサッカーをする、などといった体験はその最たる例である。
また、イラン人は概してフレンドリーだ。どのような場所であってもお互いに挨拶をし、電車では席を譲り合い、外国人にも積極的に話しかける。殺伐からは程遠く、日本のほうが人と人との繋がりが薄いのではないかと思わせられるほどであった。知らないが故、敵視しているがゆえに実際とは異なるイメージを持ち、いいところが見えなくなることがある。それを強く感じた旅であった。
・辻康介(商2年)
イランでは、見たもの聞いたもの全てが、未知のものとして私の胸に高揚感を与えてくれた。物見遊山と言われれば否定はできないが、それでもこの旅は、私の人生に多少なりとも影響を与えてくれた有意義な旅だったと思う。
帰国後色々な人にイランはどうであったかと尋ねられたが、思い返して最も印象深いのは現地人らのイスラム教観であった。日本に住む私にとってイスラム教というのは遠い世界の存在であり、中でもシーア派を掲げるイランではいかに厳しい教えがあるのかと身構えていた。しかし現地で見たのはその厳格さばかりではなかった。女性らは普通に人前でスカーフを外し、バザールでは憚りもなく下着が売られ、タクシードライバーは穢れているはずの左手でナンをひっぺがえしていた。いや、それが普通のはずなのだが、「厳しいイスラム教」を教本で学んできた私にとってはある種ショッキングな体験だった。もちろん皆、神への愛を囁き毎日の祈りは欠かさない。それでも現地での戒律など「そんなもの」だったのだ。
これらはいずれも近年の反体制運動や自由化の顕れだと想像されるが、日本にいては世界の裏側のこんな姿は考えもしなかっただろう。それを知ることができたのは、何にも代えがたい収穫であった。
ぜひこの先の後輩達にも、こうした他ではできない体験をしてほしい。一人のワンゲル部員として、そのように思う。
4.謝辞
今回の春合宿は、コロナ禍による中断後3年ぶりの実施となりました。例年であれば一度合宿を経験している2年生が主導となって1年生を連れていく、という構図になりますが、今回は3年ぶりということで合宿経験のある部員はいなかったため、準備や計画も手探りの状態から始まりました。そんな中、わたしの強い希望により、渡航先はイランに決定しました。この決定をした10月時点でイラン国内の情勢不安は話題になっており、部員の家族や上級生からも実施の可否に疑問を投げかける声がありました。
ご支援くださったOBOGの皆さまの中にも、イランでの安全についてご不安・ご心配はあったかと思います。それでも合宿の趣旨に賛同してくれ、ご支援くださった市村会長をはじめとするOBOGの皆さまには感謝してもしきれません。普段の活動でも資金的な問題に悩まされ続けている私たちが遠く離れたイランという地に渡航し、2週間にわたって活動出来たのは、ひとえに皆さまのご支援のおかげです。
そのうえ、今回の春合宿では柳川事務局長が現地に駐在しているイラン三菱商事・梨本社長に連絡をとってくださいました。梨本社長がくださった現地の情報や注意事項は、計画を見直す一助となり、結果的に大きなトラブルや失敗を回避することに繋がりました。さらに、梨本社長は我々をテヘランのご自宅にお招きしてくださいました。日本では聞くことのできないようなお話をたくさん聞くことができ、貴重な体験になりました。
イラン三菱商事・梨本社長、OBOG会市村会長、柳川事務局長、そしてご支援くださったOBOGの皆さま、改めまして、2023年春合宿へのご支援・ご助力、誠にありがとうございました。
春合宿CL 山田昂侃(社2年)