新歓合宿としては使い古された雲取。
なんでまた雲取を選んだかというと遭対審議前の政治的な判断があったわけですがここでは語らずにおきましょう。
今年の記録を書く前に、去年の記録があがりそうもないのでここで去年のことを補足しておきます。
山行当日、奥多摩駅に着いた面々。当時1年生のわれわれにとっては初めての山泊まり、若干緊張した面持ちの1年生同士顔を見合わせます。山田、相変わらず眠そうな顔してるな、西山、昨日も麻雀してきたのかな眠そうだな、湯田、今日はちゃんと起きてきたんだ、上村は…あれ?いない?
というわけで上村は遅刻です。ついでに森田さんも遅刻しました。1つ目の失敗。
さらに2人を待つ間に装備の確認をしようということで個人装備から共装に至るまでくまなくチェックしていくと、「食当セット」及び調味料類がない。食当を命じられていた僕はもう真っ青、精神的体力が山に登る前に半分以下になったのはいうまでもないでしょう。
近くのデイリーヤマザキが開くのが確か7時なんでそれを待って砂糖やら醤油やらを買い足し、食当セットは遅刻組に買ってきてもらうことにして先にバスで鴨沢まで行くことに。なんやかんやで2人が到着、登山開始します。
コースタイムの都合上、予定を変更してこの日は奥多摩小屋までということになります。天候的にも新入生の体力的にも特に問題なくテン場に到着。テント設営に時間がかかり、さらにゆとりを満喫してきた世代の僕達は先輩の話をまともに聞かずにえらい怒られました。まあこっちにも言い分はあるんですがね。いいでしょう。
ついでに、北原さんは僕らが一生懸命作った味噌汁を「まずい」と切り捨て、カレーしか食べてくれませんでした。木村さんも過去同じ憂き目に会ったことがおありだそうで、その話を聞いて多少慰められました。
翌日、雲取へのピストンを済ませ、テントを撤収して下山。前日と打って変わって天候が悪化し、雨が間断なく降り続く中新入生の体力はガンガン減り続け、それはもう疲弊しました。先輩がまったくもって応えていないのも疲労の原因です。西山に至っては「もう山には登りません」と言い放つしまつ。まあ彼はこの後も八ヶ岳で同じセリフを吐き、今年の雲取まで山に付き合うことになるわけですが。
下山後の反省会では、北原さんから2年生(当時)へのきつい言葉が続き、半分以上が1年生、特に食当に関わることだったので僕は非常に肩身が狭かったことを覚えています。CLの木村さんからは、「1年生はもっとパーティとしての意識を持つように」という言葉をいただきました。この言葉は今でも事あるごとに思い出して自戒しています。それぐらい僕にとって新歓合宿は思い出深いものでした。
翻って、では今年の新歓合宿です。
まず、去年の反省をいかし、食当には「自分が忘れたらどえらいことになる」ということを繰り返し伝えました。あと遅刻に関しても。
幸い1年生はこの2つをちゃんと守ってくれて、装備にも特に問題なくすんなり登山開始できました。7時55分に鴨沢登山口から出発。天気はあまり良くなかったものの雨がザーザー降るというようなこともなく、奥多摩小屋でテント設営し、雲取ピストン、戻ってきてから調理、宴会、ここで僕は危うくテントを燃やしかけますが上村の機転でなんとか回避、就寝。
5時起き6時半出を目標にしてましたがこれまた早く、6時20分に行動開始。大所帯の某大WVが早朝4時ごろからメチャメチャうるさくてストレス溜まりましたが、テント内みんな我慢してました。
巻き主体のコースを行った去年とは違うコースにしてみようということで、尾根伝いにいくつかのピークを踏み、下山モードへ。下りに入ったあたりから中村谷が足の痛みを訴え、小休止を取るが改善せず。登山靴が足にあっていないらしい。脛の下部が痛むので、本人はスニーカーにすれば問題ないと主張していましたが、僕はなかなかOKできませんでした。今考えれば問題ないと思われることでも、山の中、さらにCLという立場が僕の判断を鈍らせたんでしょうか。最終的には中村谷の案をのみ、スニーカーで登山を続行することに。
このあともペースの問題で上村にトップを代わってもらうなどいろいろと気が動転してたのかもしれません。やっぱりリーダーは実際にやってみないとわかりませんね。
山行全体としては、1年生の体力は問題なし。去年の僕らと違い先輩の話もちゃんと聞くし、反応も良かった。2年も気になるところは口に出して言ってくれたし、特に上村には助けられました。
来年新歓合宿でどこに行くかわかりませんが、1年と2年だけで行くというのは経験としても、新学年が始まったばかりという時期的に考えてもとっても意義があるものだと思います。可能ならば、来年もそういうパーティで行ってくれたらな、と思います。
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