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2012春合宿ペルー



2012年 HWV春合宿ペルー・ボリビア


日程2012年2月29日~3月21日 20泊22日
山域ペルー・ボリビア
文責
佐藤駿介
目的地球の裏側の文化を体感。
メンバーW3:木内太郎、佐藤駿介、横岩弘貴
W2:相馬皓介
記録2月29日
日本は大雪、都心で積雪13cmを記録。いよいよ出発だ。忘れ物は無かったが、横岩が本を、木内が帽子を空港に置き忘れそうになっていた。アメリカンエアラインはCAがババアばっか・・・

3月1日
バスを探そうと大通りに出てすぐおっさんに声をかけられ、折れる。一人s./10。(今考えるとちょい高いな。)海からの帰りの運ちゃんも良い人だったし、南米最高?海では特にすることも無く、相馬だけ濡れる。サンフランシスコ教会ではカタコンベ見物。人骨うじゃうじゃ。俺は疲労により爆睡。飲みに置いていかれる。俺以外の3人は美味いセビッチェ食ってビール飲んで・・・

3月2日
朝食は昨日と同じ店。その後の(判別不能)行ったらしい・・・。スーパーがあって物価の高さを実感。まぁまた俺は寝てたけど・・・。セントロからCruzDelSulのバス停まで歩く。2hぐらい。日差しは強いが、風が吹いていたので快適。途中の飯屋でセビッチェを食った。(横岩は美味い美味いと食っていたけど、どう見ても腹壊す要素満載)どんどん料理が出てきて不安になったが、たったのs./5で済んだ。

3月3日
24時間のバス移動が終わった。木内がDeathった。ヨセフのおっちゃんからマチュピチュ行きのチケットを取る。総計$160/1人って・・・・高!!!宿のチリ人の兄ちゃん(通称カルロス)はヒッチハイクでペルーまで来たらしい。かっけぇ。俺ら4人はイエローモンキーであることを実感させられた。

3月4日
何故かam5:00に起床。相馬が「リバティー2!!!」と謎の寝言。市内をグルグル回ったが、一望するとやはりそのスケールの大きさに脱帽、感動した。クスコの街路は高い塀に囲まれているが、その裏にスペースがある。ふと路地裏に入ると感じのよい民芸品店が並んでおり、相馬がセーターを購入。(以後相馬はずーーーーーーーーーーっとそのセーターを着続けるのだあなおそろしや)でもうらやましかったので俺も買った。ペルー人の女の子は日本人に似ていながら鼻筋が通っていてタイプです。女の子集団に「一緒に写真撮って!」と言われて肩に手を回したらそのやわらかさにくぇRちゅいおP@。アルパカはあんまくさくない。ペルーのnORTHfACEのジャケットはGTXではなくて、aLPINEX-tEXだった謎。

3月5日
カテドラルの前までヨセフのおっちゃんが迎えに来てくれた。昨日はしゃぎまわったせいか、相馬のへんじがない・・・ただのしかばねのようだ。ホテルに荷物をデポできたから良かったが、さすがにバス移動はきつそうである。オランタイタンボの町に到着。物価が高い。ココアが甘い。木内と横岩も腹の調子が悪いそうだ。トイレに入った瞬間(木内)「うわぁ~~~~~」

3月6日
am4:00。結局ひよって皆でワイナピチュ登ることに。早く出たのは良いが、ゲートが開かない。雨が降りだした。地獄絵図。そこからエントランスまで1:30ぐらい登る。・・・相馬?相馬?へんじが(ry 言いくるめてワイナピチュ入口まで連れて行くも、(係員)「このチケットは遺跡だけよwww」はい。遺跡めぐり再開。あきらめきれない俺だけインティプンクという、遺跡の裏にあるマイナーピークにアタックすることに!!!!CTを縮めるため、ものすごい早足の俺。外人はサンダル、俺はフィッツロイ。外人はカップル、あいあむあろーん。頂上は遺跡とワイナピチュを俯瞰できて悪くなかった。・・・いやほんとに。帰って温泉へ。外人のデカイけつを眺めながらぬる~い(冷たい)濁ったプールだったけど必死に温泉だと自己暗示かけて入ったら帰りはノーパンでしたよぉぉっとな。帰りの電車はアメリカンがバカ騒ぎ!!横岩がイライラしてた。バスを降りると娼婦が「sex?」と聞いてきたがスルーした。(何故この時スルーしたかには諸説ありますが、どう見ても男だったという説が有力。)

3月7日
このホテルapuwasiには女従業員しかいないのか?ボス・長老(以上2名名前不詳)、ルース(日本語勉強中)、マリリン(天然でかわいい)、ファニー、マリア(彼女←)。そんな僕は公園でずっと懸垂してたよ。相馬と自転車旅行の計画をしたり、アルパカのポーズを編み出したりした。夜は自炊。食当は相馬と木内。生姜とか醤油とか日本っぽい鍋に、お楽しみのおつまみたくさん!!隣の外国人トレッカーのカップルがクラッカーと芋だけ食ってるのを見てご飯をおかわりした。バックパッカーの梅田さんから話を聞いて元気が出た。

3月8日
朝、ホテルまでヨセフが来た。なかゴチャゴチャ教えに来てくれたみたいだ。良い人。・・・何もすることが無い。マリアと写真を撮ってfacebookのアカ交換をしてマックへ。夜まで暇つぶし。バス停まで行くとバックパッカーと現地人だらけ。せっかくのカマバスだったが、起きたら到着していた。

3月9日
ボリビア入国の日だが、おばちゃん連中がストしてるので2km程歩かされた。出国手続きの時、税関でもらった紙の切れ端が必要であることを知ってすこしちびったが(大きいほう)ちょっと金払ったら何事も無く済んだ。チチカカ湖はとんでもない大きさで、まるで海のようだ。木内がチチカカ湖の調べはしっかりやってきていたのでかなり助かった。宿の温水シャワーを浴びていたら突然電線が(頭上10cm)バチバチバチバチ!!!ショートして火を噴出した。絶縁体が燃焼してバスルームに有毒ガスが充満する。佐藤は息絶えた。

3月10日
コパカバーナからアイラデルソルまでトレッキング。何も無い道を5時間。めッちゃ景色よかった。寒くて手が変色。渡しの船ではテンボリゆーてたのに100要求してきた。木内は札束をばらまいた。この日は宿探しを根気強くやったおかげで、英語しゃべれる兄ちゃんのいる安宿を発見できた。相馬産休。太陽の島からはこれまでの人生で一番綺麗な夜空を見ることが出来た。

3月11日
今日もトレッキング。道中ずっと番の犬がついてきて、ずっとセクロスしてた。アイラデルソルは3つのエリアに分かれているらしくそれぞれのエリアで入場料が必要だった。トレッキングロードは四方が湖のため、ものそい開けてて気持ちよかった。

3月12日
京都府立大山岳部がアコンカグア登頂に成功したらしい。すげーっす。かっけーっす。こちらはぶじLaPazに到着。市場で買ったスープは、豚の脂が入っていて美味かったが、得体の知れないどす黒い物体(イモ?)が入っていて食えなかった。夕食は日本料理を食いに。木内:天ぷらうどん、寿司。佐藤:天ぷら、刺身。相馬:鍋焼きうどん、カツどん。横岩:カレー、茶碗蒸し。茶碗蒸しだけクオリティークズww

3月13日
LaPazで時間つぶし。俺と木内はライカコタの丘とかゆうさびれた遊園地へ。ひたすらカップルがぶっちゅぅぅとやっていて非常に気まずい。相馬はネカフェへ、横岩は広場で刈りたての頭を天日にさらしていたそうな。

3月14日
凄かった。一面の白白白。この3週間の中でウユニ塩湖は圧倒的な迫力だった。丁度雨が上がったところで、まるで湖面が鏡のようになって、本当に神秘的だった。ドライバーはスペイン語しか喋れなかったが相乗りしたコロンビアンの兄ちゃんが通訳してくれた。ウユニ塩湖の真ん中の塩のホテルは日本人だらけらしい。

3月15日
(記録なし)

3月16日
LaPazに帰ってきた。金曜ともあって凄い人である。特にメインストリートは、アイスクリームパーラーや映画館が立ち並び、サタデーナイトフィーバーのような70年代アメリカの雰囲気がして楽しかった。ボリビア最後の日なのでお土産デーに。いらんもんいっぱい買って、深いい話を横岩とたっぷりした。ミイラ(アルパカ・亀・ワニ・ピラニア)は税関が心配なので買うのを断念。

3月17日
一日移動日。また国境。2回目ともなるとスムーズだ。道が悪いため車内は激しく揺れ、爆音につつまれる。到着するころには横岩のサンダルが3席前の対角線上まで吹き飛んでいた。

3月18日
ロンプラによればここフリアカは”暗くて、寒くて、汚くて、危ない町”らしい。・・・全然。人は気さくだし、夜はゲーセンとカラオケに興じてる。良いホテルもあるし、良いレストランもある。カラオケやりたかったけど、閉まっていました。残念。

3月19日
最終日。やり残したことを消化。お土産の買いのこしをつぶし、クイ(テンジクネズミ)を食った。バイバイペルー。バイバイ南米。
反省




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