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山行記録 山スキー燧ケ岳


■文責:小川

■日程:4月22日(土)~4月23日(日)

■天候:両日晴れときどき曇り

■メンバー:CL葉玉 ←新3年生。2年時に春山登山研を終了。

SL永喜 ←新4年生。2年時に春山登山研を終了

食当小川 ←新2年生。山スキーは2回目

■計画コースタイム:

 [1日目]大清水-600-長蔵小屋【600

 [2日目]長蔵小屋-300-燧ケ岳(俎嵓)-215-尾瀬沼-430-大清水【945

  ※資料のコースタイムを1.5

■記録タイム:

 [1日目]大清水(10:30)-540-長蔵小屋(16:10)【540

[2日目]長蔵小屋(5:45)-425-燧ケ岳(俎嵓)(10:1010:35)-215-長蔵小屋(12:5013:20)―445―大清水(17:45)【1200

■地図・資料:2万5千分の1地形図「燧ケ岳」「三平峠」

      資料『山スキー百山』スキーアルピニズム研究会

 

■雑記

まず、この記録を書いているのは2021年の11月です。文責は山行当時リーダーズではない身分でありかつ当時の記憶が薄らいだ状態ですが、思うところあり、当日の写真を見返しつつ、かける範囲で教訓を残せればと筆を執ります。なお、当日のコースタイムに関しては写真に埋め込まれている情報を元にしているのでほぼ正確です。

 

■山行経緯

今山行の1年前、2016年に永喜さんと葉玉さんは4年の竹内さん交えてゴールデンウィークに日帰りで燧ケ岳に挑戦。しかし小雪も災いし、ただのスキー歩荷になったとか(ブログを参照)。1年後、登山研や永井さん山行を経て成長した葉玉さんをCLに、就活中ながらベテランの永喜さんをSLに据えて、リベンジマッチとして企画されたのが本山行である。そしてこの山行の最大の意義は1泊以上のスキー登山の復活にある。数世代途絶えていたワンゲルのスキーツアーの再開の第一本がこの燧ケ岳であった。

 

■記録

1日目]

確か前夜発のレンタカーを借りて当日朝出発。大清水には10時頃に到着。

最初は沼田街道の林道を延々シールで歩く。雪はかなり残っていたため一度も板を外すことなく歩けた。1時間半ほどで一ノ瀬休憩所に到着。ここからは夏の登山道沿いに歩く。最初の沢沿いのトラバース道がやや切り立っていて怖かったがロープは不要。渡渉点は沢が埋まっているポイントを見つけて渡った。渡渉後、三平峠からのびる尾根に乗り上げる際に急登があり、樹林帯の登山道は狭くキックターンに非常に難儀し、文責は大変に時間と体力を消耗した。対処として文責のみ板を持って登った。三平峠から尾瀬沼まではその日初の滑走になったが既に4時間近く重荷を背負って歩いた足に堪え、文責は何度も転んだ。そもそも背中に25キロ近く詰めて滑ったのは初で、慣性に持っていかれてまともにターンができていなかった。こうして苦労して降り立った尾瀬沼だが、すべてを吹き飛ばす景観が待っていた。晴れた空の下、一面の雪原となった尾瀬沼の上に燧ケ岳が神々しくそびえる。個人的な話で恐縮だが自分はあの時の感動をもう一度味わいたくてワンゲルを登山を続けていたといっても過言ではない。

長蔵小屋は春の一時開業へ向け用意を進めていた。その一角、まだ雪に埋まる元長蔵小屋の前にテント設営。この日のメニューは鶏鍋うどん。先輩二人はOTANOSHIMIで熱燗を楽しんでいた(自分はジュースをいただいた)。また、この日は夜の星空が最高に綺麗だったのを覚えている。尾瀬は街の光が入らないため星が大変に美しい。水を作り21:30ごろ就寝。

 

[2日目]

テント等デポし、燧ケ岳を目指す。ルートは長英新道。とりつくまで少し迷ったが、このルート、風のない樹林帯と緩い傾斜でシールで歩く上では割かし楽であった。森林限界を超えたあたりで、板をデポしアイゼンに転装。文責のキックターンが下手なのと、スキークランポンが全員分なかったための対処だったと記憶している。なお、文責はピッケルを忘れたので、永喜さんが自身のを差し出し、以後ストックで行動してくれた。なんともなかったからよいが今思えば命とりな忘れ物である。爼嵓には10時過ぎに登頂。御池から登る人で、それなりに賑わっていた。雲にまかれ眺望はあまり無かったのは残念だった。

時間も押していたので下山は少し急いだ。爼嵓直下はやや急だが、アイゼンとピッケルがあれば1年目でも難ということはなかった。滑走は長英新道をメインに、最後一本谷に入りこみ浅湖湿原に滑り出る。樹林帯の滑走では、お互いを見失わないように少しずつ進み、いざという時の笛のコールサインを決めておいたので比較的まとまって行動できた。湿原からは少し溶けかかった沼上を歩いて渡り長蔵小屋でテント撤収。

時間が相当押しているとして休憩もそこそこにすぐに出発した。沼からの帰りはメンバー全員に焦りと疲労がみられた。特に文責は疲労著しかった。三平峠から下る急坂をスキーで降りられず、途中で盛大に転び、更に外した板を走らせてしまった。板は永喜さんが無言で回収してきてくれた。技術のないW1は急坂では最初から素直に板を外すのが対処として吉だ。(なおこの急坂もリーダーズは斜滑降等駆使して板を履いたまま降りていた)。その後も転んだり木に引っかかったりで(主に文責が)時間をロスしまくったが、最後の一ノ瀬休憩所からの林道滑走は使う筋肉が違うのか疲労の割にスピードを出せ、大清水には無事に明るいうちに着くことができた。在京に詫びつつ下山連絡を入れ山行終了。

 余談だが、この山行のレンタカーは日曜の夜20時までの予約であったのもあり下山を急いでいた。ともかくも疲労の中、葉玉さんと永喜さんが励ましあいながら運転してくれたお陰で無事故で帰ることができたのには感謝である。(この頃文責には免許が無かったのだった。)

 

 

■総評

山スキー2回目のメンバーには少し難易度が高かったか。文責には体力・技術ともに打ちのめされた山行である。自分で書くのも難だが夏の山行ではそれなりに動けていた自分が初めて本格的にバテた山行だった。スキーを使った移動は慣れれば速くて楽だが慣れるまでは重荷である。この経験は春山のスキーツアーで粒のそろったメンバーを確保するための教訓として、翌年以降の積雪期の練習山行の拡充に生かされていくことになる。

下山が17時を超えたのはパーティーの最大の反省である。計画書を見返すと二日目は「10時の時点で滑降開始していなかった場合は即時滑降開始する」というリミットを設けていたにも関わらず10時時点で目前の山頂を踏む選択をし、しかも山頂でダラダラしていたのが悪かったのではないか。写真から察するにガスが晴れるのを待っていたようだ。山行当時の自分はこのあたり何も考えてなかったが、今、客観的に見ていただけない判断だ。

ルートの技術面でのレベル感だが、いたって危険な箇所は少なかったので、今回のように上級生の力量が十分あればW1でも参加できるルートとは思う(このルートは体力面の方が課題かと)。しかし、もう少し雪解けが進んでいた場合は渡渉や尾瀬沼の迂回など本山行時より難しくなる場合はある。今山行のように林道が開き次第決行することをお勧めする。それとピッケルは忘れないように!

 

長くなったので以下、今回の山行の教訓をまとめる。

1.山スキーの歩行や滑走は、それぞれ通常の冬山登山やゲレンデスキーとはわけが違う。粒のそろったメンバーの確保のためには専用の練習を積むべし。

2.リミットは厳守すること

3.1年生は時に大事なものすら忘れてくる。山行前の装備確認は念入りに

 

 

終了直後は、(レンタカーによる財布へのダメージも含め)敗北感漂う山行だったが、この山行メンバー全員が、最終的に2泊以上のスキーツアーのリーダーズを務めて卒業していったことは感慨深い。最年少だった自分にとり、リーダーズにとり、ジャンプ台として非常に意義ある山行だったと思う。数年越しだがあの時連れて行ってくれた先輩2人には感謝したい。

 

 





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