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2009北ア ②


さて9月6日つづきである。

新島々で松川と、上高地では寿栄松と合流し、その日は上高地のバスターミナルでステビ(広義では)。しっかし寒い。もはや上高地は下界ではないのだろう。

夜の寒さは今まで東京の夏を過ごしていた私たちを苦しめた。後に分かることだが、岐阜高校出身の某という男は非常に耐低温性があり、寒さを感じないようだ。


9月7日 快晴

早朝5時、薄暗い夜あけやらぬ刻には出発した。上高地の森を歩くのは2年ぶりである。前回は下山が上高地だっただけに印象が強かった。

当時1年だった私は先輩に連れられるがまま、ただ歩くロボットに過ぎなかった。読図もいろんな判断能力も何もなかったと思う。そんなやつが2年後には下級生を引っ張っていかねばならぬ。恐ろしきゆとり教育である。

まだまだ力不足で当時の先輩たちと比べれば私も西垣も屁のようなものだろう。とそんな事ばかり思う。いつもは異常なプラス思考男なのだが、今回ばかりは不安と実力のなさを自覚してマイナス思考をしてしまう。

しかし、冷え冷えとした森林を抜け前に穂高の峰々が表れた時、その不安は肥大化をやめ、萎縮していった。

上高地から見える穂高は若干不細工な格好をしている。いざ穂高を登らむ。


予定された行程は上高地から穂高岳山荘までである。今日の道のりが一番しんどい!(と結局毎日思うことになるのだが・・・。)今朝の天候は快晴。トップは西垣。岳沢まではコースタイムよりも若干遅めである。

当然遅めで結構。何せあと12日もあるのだから毎日がハイスピードではたまったもんじゃない!途中通った岳沢ではトイレがあり、水は手洗い用がある。飲めなくないのかもしれないがオススメはしない。だがテントは十分に張れる。

そこからさらに登る登る登る。今日は登りまくる。

前穂まで一気に登り挙げるのはかなりつらかった。天候がよいのは嬉しいが、汗が止まらない。そして奥穂高を過ぎればあとは少しおりれば山荘が見える。だが、奥穂高から穂高岳山荘の急斜面をおりるのは案外怖い。

我々は荷物が重かったからかもしれないが、今日一番の難所だと思った。おそらく疲れのピークもあり足下が覚束ないようなら慎重に歩かれたい。

穂高岳山荘は天幕600円である。天幕で600円を要求するのはこの穂高岳山荘のみである。他は500円である。しかしこの100円の威力はなかなかでかい。なんとゴミが捨てれる!

ゴミをZNTできるのはここと北穂高小屋くらいだ。ありがたい限りである。それに小屋のねえちゃんがすさまじくカワイイ。もはや山小屋バイトも一つの出会い系である。西垣もウホっウホっ。

西垣は山のなかではそれほど本能はでてこないらしいのだが、私服の女を見ると一気に感化されるらしい。毎日大学に通っていれば毎日欲情しっぱなしなのだろうか。


9月8日 晴れ(だが、飛騨側はやはり吹き上げる風が非常に強く寒い。)

3:30起床。今日の行程は北穂高、南岳を越え槍ヶ岳の麓にある槍ヶ岳山荘へ行く予定である。今日も昨日同様すさまじく晴れている。絶好の登山日和だ。今日から北原がトップを務める。西垣のトップは若干ペースが早いというのと、

意識をぶっ飛ばしてしまう癖がある(本人談)ので今日から北原がトップとなった。

穂高岳山荘から北穂高小屋までは難なく進むことができる。しかし、北穂高小屋を超えると一気に形相は一転する。いわゆる大キレットである。下りから始まるキレットは初めから難関を仕掛けてくる。いつもの重さであればそれほど

苦しまなかったかもしれないが、前半の食料が全て詰まったザックを担いで行くのはかなりつらい。すでに昨日の筋肉痛が痛む中でさらにヘビー級のザックと共に歩くのは負担のかかりようが違う。

それに加え、8人パーティーであることから予想に反して待ち時間に時間を取られることになった。飛騨泣きの鎖場は最たるもので、1時間程度かかったと思われる。ここで我々より遅く出発したお爺さんに抜かれていった。

聞けば御年78歳だそうだ。よくその年で登るなと感心してしまう。彼も槍ヶ岳山荘まで行くらしいが、私たちは絶望的だと考え西垣との相談し今日は南岳小屋で休むことにした。そしておじいさんにもそれを勧めておいた。


飛騨泣きを越えてもなお、南岳までは遠かった。何せ12時を過ぎてまだ長谷川ピークを残していた。南岳まで着けるのか心配でならない。

時間が差し迫る中まだ危険地帯が残っているのは不安以外の何者でもない。その心配をよそに1年生はなにより元気である。飛騨泣きの鎖場では湯田はぶっ飛んだルーファイをしてくれる。飛騨泣きは飛騨側、つなわち日陰に入り

かなり寒いし、風が吹き上げてくる。その影響で先に下った我々が下から何を言っても聞こえないようだった。基本的には身体を張ってオモチロイことをしてくれるのは大歓迎だが、

落ちたら死んじまうような場所でオモチロイことはしなくてもよい。当然湯田にそんな気持ちはないのだが、私らも1年のころはそうだったのだろうか。年を重ねるごとに山が沢が滝が怖くなるとは言うが、

その通りである。


いよいよ長谷川ピークを前にしてとりあえず気合いを入れ直す。メンバーには口酸っぱく「危ないから気を付けろ」と喚起するが、そんなのは半分自分に言い聞かせているようなもんだった。

長谷川ピークへ向かう鎖場は確かに落ちれば死ぬような場所だが、かなり整備されているようだった。単純に落ちれば死ぬからだろう。今まで何人も死んでいるのかもしれない。だが基本的には落ちない。足場は人工のものが

用意され、ホールドも十分にある。足でも滑らさない限り問題は無いだろう。長谷川ピークを過ぎればかなりスムーズに歩を進めることができる。南岳手前の岩場も危険がないわけではないが、むしろはしごを登るだるさの方が大きい。

思ったより早く南岳小屋には着くことができた。南岳小屋は穂高ほど大きくはない。質素という感じの小屋である。主も気さくな方で非常に話しやすい。それ以上に商品がウテる。手作りのドーナツが2個で50円!まるで下界並の安さである。

これほど安い小屋は少なくとも北アではお目にかかれないだろう。そこで寿栄松がドーナツを買い占めたのにそれを忘れてきたということは天罰が下ったのだと信じている。


9月9日 晴れ

昨日の叔お爺さんは結局南岳小屋に泊まったらしい。今日は槍ヶ岳より先の大天井岳までいかれるそうである。昨日予定の槍ヶ岳まで行けなかったことから、今日槍ヶ岳山荘まで行き、槍ヶ岳をピストンしておしまいにするということになった。4:00に起き5:30には出発したものの8:00過ぎにはすでに槍ヶ岳山荘についてしまった。

今日はだらだらできる日でもあったので先にテントだけ張り各自だらだらタイム。私と西垣は食堂で作戦会議。会議中にも関わらず、西垣はカップ麺をすすっている。まったく食欲の化け物である。化け物の食欲かもしれない。

その後予定通り槍ヶ岳をピストンし、今日の行程はおしまい。


9月10日晴れ

4:30起床。辺りはガスっているようであるが、麓から見える槍ヶ岳はやはり荘厳だ。この槍ヶ岳にも別れを告げ、今日は三俣山荘まで行くことになる。正味今日は消化試合みたいなもんである。危険箇所はこれといって

なく、ただ歩を進めるのみの日だ。日中になるにつれガスはとれだし天気は上々だが、やはり寒かった。今日は霜が降りたようだ。それでも行動中は汗をかく程度の陽気で気分がいい。危険箇所を過ぎた安堵の気持ちも後押し

してのことだろう。足の運びも自然と早く6時に槍ヶ岳山荘を出発し9時半には双六小屋に着いた。双六小屋でしばしの休憩。出発して早5日目であり、そろそろ頭も痒くなってくるころだ。

ここでは水が自由に使えるようなので髪を洗わせていただいた。北アルプスでは山域によっては水が不十分なことがあるが、雪渓や池がある場合水は無料で分けていただける。しかし、雪渓由来の水はあり得ないくらい冷たい。

それに霜が降りるほどの朝である。寒いに決まっているが、それに伴い久しぶりの爽快感も同時に味わうことができる。下界では1日風呂に入らないと人間は腐ると思ってしまうが、山中ではそれほど気にならない。

みんな臭いからだ。(某木村は下界でも風呂にはあまり入らないようだが。)

双六小屋は今までの小屋と比べ小屋の中がどこかさびしい雰囲気がある。玄関は陽の光が差さず陰鬱な暗さを醸している。しかし個人的には趣があって好みだ。

長居するのもいいが、髪を濡らしたせいでそろそろ頭が冷えるので出発する。次の目的地は三俣山荘だ。そこへ向かう道は双六岳ピークを踏むルートと巻き道ルートが2通りあるが、満場一致で巻き道を使う。

この辺りは高度も今までと比べれば若干低く、植物が生えていてどこか安心する。水が多いからか高山植物が美しい。そこから程なくして三俣山荘へ到着する。双六小屋で十分休憩をとっても今日は12時前には着いてしまった。

三俣山荘は三俣蓮華岳から少し行ったところにあり、そこも水が豊富にある。トイレは小屋の中のトイレを使わせてもらえる。とてもきれいなトイレで快適に使える。

幕営地は小屋から少し離れた場所だが水場にはかなり近くて便利だ。天気もよいのでシュラフを乾しておく。今日は気分よく眠れそうだ。


9月11日晴れ

さて昨日はよく眠れたかと言えば全然眠れない。この辺りからやはり寒くて途中で目を覚ますことが多くなっている。体力は回復するが、寒さで眠れないのはストレスを感じる。特に寒さ耐性がない私にとってはつらい。

今日の行程は三俣山荘を後にして鷲羽岳、水晶岳を踏み野口五郎小屋を経て烏帽子小屋へ至るルートだ。後に分かったことだが水晶辺りは雪の予報だったそうだ。そりゃ寒いわけだ。

今日の行程は長い道のりなので多少のゼンツが必要だと判断し、休憩もゼンツして鷲羽岳を経て水晶小屋まではハイペースで進んだ。

だからかは知らないが、鷲羽岳のピークで「ユディー、ここはどこかわかるか?」と聞いたところ、「さぁどこですかね。僕は100名山しかわからないです。」・・・。ゆでぃ!鷲羽岳は100名山だよ!

さて、話は戻して水晶小屋までも風が非常に強くとても寒い。歩けども歩けども体温が上がらない。水晶小屋に着くとすぐに小屋の中に入れてもらいしばし休憩。

水晶小屋は今まで通過してきた小屋の中で最も小さい小屋だったと思う。事後的に言えば我々の通ったコース全体でみても最も小さいと思われる。小屋から水晶岳まではほんの1時間程度で往復ができるので

ザックは置かせてもらいピストンすることに。ザックがないと余計に寒い。水晶へ向かう道のりもそれなりに危ない。3点支持を守らねばならない場所もあるがまず死にはしない。

とにかく早く帰りたい一心でハイペースでピストンし、水晶小屋を後にして野口五郎へ向かった。野口五郎までの道のりはアップダウンが極端に少なく大変歩きやすい。稜線歩きがとても気持ちよかった。野口五郎小屋も大した小屋ではない。

などというと怒られそうだが、たいしたことはない。ここではほんの数分休んですぐに出発する。ここからもアップダウンが少ないことは変わらず歩きやすい道が続く。未だ槍ヶ岳が大きく見える。まだまだ先は遠いのだと

思い知らされる。事無くして烏帽子小屋に着いた。しょぼい・・・。野口五郎の小屋がたいしたことがないと言ったが、前言撤回する。烏帽子小屋は最もしょぼい。今にも壊れそうな軒先。大丈夫だろうか。

聞くところによれば明日は大雨らしい。下界でさえ雨は嫌いな私はいはんや山中をや。とにかく今日はテントで寝るが、明日はもしかしたら小屋で停滞まである。

女将さんには明日の朝雨が降ってきたら4時前くらいに小屋に入れてほしいとの旨を伝え、その日は寝ることになった。烏帽子小屋から幕営地までが意外と遠い。なぜこんな構造にしたのか気になるが大変不便である。

そこで出会ったおじさんは一人でテント泊だそうだが、やたら大きいテントである。そのおじさんが山男並の大きさだから無理もないのかもしれない。彼もまた上高地までいくそうである。単独での長旅は心が折れやしないか

と思ってしまう。携帯のソーラーパネル付きの充電池を使っているらしいが、もちは良いらしい。彼の安全と明日の天気を祈りつつ休むことにする。


9月12日暴風雨

天気予報に裏切られることなく4時過ぎには雨が降り出した。我々はテントを片して小屋へ移動する。ただ寿栄松、上村、湯田は金銭的な理由で小屋に泊まることを断念し、テント生活を選択した。

アークテリックスのジャケットを買うのをやめれば小屋に泊まれただろうに。アニメをすこしでもやめれば小屋に泊まれただろうに。

結局その三人を喜んで残置して私たちは小屋でゆっくりと。

小屋は思った通りウテない。あまりに寒いので布団をかぶりたいのだが、就寝までは布団をつかうなとの張り紙が…。一体それまで何をせぇと?結局乾燥室(ストーブが付く唯一の部屋)で暖をとることに。

それにしても暇でしょうがない。外は雨の形相が色濃くなり、相当風も強いようだ。テントは大丈夫だろうか。

ちょうどお昼頃になりだんだん小屋にやってくる人も増えてきた。こんな雨でよく動くなぁと感心するが、中には瀕死状態でやってくる老夫妻もいた。無理はすべきでない。

特に年配の方は昔の体力と同じように考えて無理をされることが多いのかもしれない。将来は我々も気を付けるべきである。何より回復されて本当に良かった。


お昼を過ぎた頃。お年頃のねぇちゃんが小屋にやってきて話がはずむ。お年頃といってももう30は過ぎているだろうか。それにしてもきれいな人だ。今はシドニーで仕事をしてるということ、昔は国分寺に住んでいたということ、

これから五色ヶ原へ行きたいと言うことなどを話した。国分寺というのは国立の東に位置する隣町だ。国立(くにたち)とは立川と国分寺の間にあるからその頭文字をとって国立と呼ばれるらしい。しょうもない場所に大学がある。

我々のように全国の山や自然を求めあるいていても案外そういう近しいひとに会うことがある。1年の春に行ったニュージーランドでは小さい水族館で大阪大学のワンゲルに遭遇した。ニュージーランドはそれほど日本人は多くない

し、それ以上にその水族館は我々と阪大ワンゲルで占有されていた。そんなたまたま出会った阪大も翌春に行った西表島で再会することになる。世の中は狭い。ちなみに湯田の股間は痒い。


携帯電話の話

携帯電話ができたのがいつかは知らないが、もはや携帯は山中でつながる道具である。遠距離恋愛も秘密の恋をも可能にしてきた携帯電話であるが、現在では山中でのそれも可能とする。

特にNTTDoCoMoは革新的な電波である。信州でも飛騨でも目視できる場所であれば間違いなく通じる。小屋でも通じなかった場所はほぼない。「八ヶ岳、北アルプスバリ3計画」らしきものを推進しているらしい。

さすがNo1の責任を果たしている。それに少し劣るのがauである。auもつながる場所ではつながる。アンテナは0本だが、圏外ではない状況が続くといった感じだ。これもなかなか成績がよい。

ところがである。某孫正義の会社はあまりにくそ過ぎてものが言えない。最近では上戸彩だけで収まらず、Smapまで、そしてブラッドピットやキャメロンディアスまでCMに起用しており、純増No1だそうだが、電波はワースト1である。

最近ではそのCMも評価が高いそうだが、電波はワースト1である。釣った魚にはエサはやらんという商売と買っていただいてからのサービスで商売するのとどちらがよいのかは時代が決めるであろう。そして電波はワースト1である。

がしかし、一つだけ言っておきたいが、某孫正義会社の圏外は山だけではない。国立にある一橋大学構内でも圏外となる。

さすがにNTTのように山の中まで圏内にするのは優等生だが、いくら劣等生でも携帯電話を名乗るためには東京都内は圏内にすべきではなかろうか。



9月13日

今日の天気予報は晴れだが、朝になってもなかなか雨がきれない。風もかなり強い。朝4時に起きた我々だがとにかく6時まで止むのを待つことにした。

しかし、6時を前に他の宿泊客は足早に次の目的地へ出発していくようだ。いざ6時を過ぎても雨が止まないので仕方なく出発することに

。実際雨はそれほど降ってはいなかったが、風の影響で雨がきつく見えていたようだ。コルにあたるような場所では吹き上げる風と相まって

、まっすぐに歩けないほどである。風に吹き飛ばされ何カ所か岩にぶつけ打撲を負ってしまった。途中休憩する場所にも困ったが、なんとか藪を見付けそこで休むことにした。そこで用を足そうにも小便は吹き上げる風に煽られて飛び散る飛び散る。そして湯田の股間は痒い。

これは男たちだけだからかとても楽しい。全く男という者はスーツを着た子どもであるが、我々はスーツさえ着ていない子どもである。

この日の目的地は船窪小屋手前のテン場である。南沢岳から不動岳、不動岳から船窪乗越までは案外怖いそうである。それに加えこの風の影響で滑落の危険性も加味してそれほど早い時間に危険地帯に着いてしまうのは好ましく

ないと考えたのも一つである。

ところが、風の影響があったにせよ、案外足運びが早くなる。不動岳にはものの2時間で着いてしまった。昨日小屋に泊まって体力が戻ったのだろう。皆足取りが軽かった。

それに不動岳以降も案じていたよりも危なくない。もちろん落ちれば死ぬが、それはどこも同じである。結局3点支持が必要な場所はなかった。そして12時過ぎには目的の幕営地まで到着した。

船窪のテン場からは小屋も水場も離れている。水場に至っては登山道よりよっぽど危険だ。まぁ危ない水場へは後輩たちに行かせることにして私と西垣は小屋にテント料金を払いに行くことにした。テン場から小屋までは登りで

およそ15分。少し登ると稜線に出るが、まだ風もびゅんびゅん吹いている。今日は一日中寒い日だ。そこから程なくして小屋が見える。小屋はおばあさんとアルバイトの若い娘さんできりもりしているらしい。

「今日は一段と寒いですねぇ。」と我々に温かいお茶を出してくれた。久々に味わう人間味に心も温たまる。質素な小屋で迎えてくれるおばあちゃんはたいへんをかしい。

帳面に我々の情報を記して帰り際に、私が「ここには非常食の菓子のようなものは置いてないんですか?」と尋ねたところ、「もうみんな売り切ってしまってね」といいながら、奥を探してくれ味噌パンなるものを取り出して、

「私らの非常食ですが私らももう山から下りるので、これでもよければ」と破格で大量に譲ってくれた。結局メンバー一人に2つづつは分けることができたはずだ。

味噌パンは信州の方の名産らしい。味噌パンの名前からは想像できないが、大変甘くて美味しい。今度登る時は何かお返しになるものを持っていきたいと思う。もし後輩たちが通る機会があれば是非お礼を言っておいてほしい。

その夜はお茶会を開くらしく、私たちも招待されたのだが道のりがまだまだ遠いことと夜は暗く寒い中テントを放っていくのも心細いので今回はやめておいた。

飽食の時代キタ。ハジマタ。ハジマタ。





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